to be my self

夢追い人

to be my self とは

 

to be my self (なりたい自分になる)

 

 

私のブログのタイトルであるこの言葉。

自分が生きていく中で大切にしていることであるから

ブログのタイトルにしている。

 

 

 

なりたい自分、に近い人が1人いる。

高校の担任の先生。

めちゃくちゃすごい人ですごく尊敬している。

 

 

自分で言うのも変な話だけど、

正直この先生のクラスになるまでは

それなりに真面目な優等生だった。

先生からしたら特別手間のかからない生徒だったと思う。

なのに、この先生のクラスになった途端

クラス全員の前で何回も怒鳴られた。

他の学校はもちろん、母校の他の先生ですら

怒らないようなことで怒られてた。

自分が悪いことをした自覚があった上で

注意されたことはあっても

悪いことをしたつもりがないのに怒られたことなんて

今までほとんどなくて。

初めは苦痛で苦痛で仕方なかった。

今思えば、社会人になったらできて当たり前のことを

できてなくて怒られてただけ。

社会での常識や、社会ではできて当たり前の気遣いを

することを教えてもらっていた。

先生は何ひとつ間違えたことを言ったことはなかった。

むしろ正解しか言っていないことに気づいたとき

この先生すごいなって高校生ながらに思った。

 

 

あるとき私がすっごい落ち込んでいて、

でも本当に誰にもそれを察されたくなかったから

めっちゃ笑顔で振る舞っていた。

上手いこと振る舞えていたみたいで

全然周りの子たちには悟られなかった。

でも、放課後先生に廊下に呼び出されて

「お前何かあったんか?顔めっちゃ疲れとんぞ」

って言われた。先生にだけバレてた。

先生は怒るときすぐ廊下に呼び出すから

やっばい私何かやらかしたっけって思いながら

ビクビクして廊下に行ったら言われたのがそれで

すっごく拍子抜けしたのを覚えている(笑)

中学生の頃から教師っていう仕事に魅力を感じていた私は

この先生すごく生徒のこと見てるんだなあ、って思った。

この先生やっぱりすごいなあって。

 

 

私は大学を受験する際に、

志望理由書を願書と共に提出しなければならなかった。

大学に提出する前に下書きを担任に提出し、

了承を得たら本番を書いて提出する流れだった。

下書きは何度も修正される前提だったのに、

私がとりあえず1回目に出した下書きには

何も修正がなかった。

担任から下書きを返された時に

恐らく私の顔に?マークが書いてあったのだろう、

担任は私にこう言った。

「この文章は俺の知ってるお前じゃない。

 ちゃんと本当の自分で勝負しろ。大丈夫。」

私は教師を目指しているのに教育学部じゃなくて

法学部に進学することを少し後ろめたく思っていて、

教師になりたいという想いは書かずに

上辺だけの志望理由を書いた。

この進路で本当にいいのかという不安、

教師を目指すことへの自分の想いに自信がなかった私は

この一言にすごく背中を押された。

私こうなりたいんだ、こんな大人になりたいんだ、って

気づかされた。

教師になりたいなっていう想いはあったけど、

それが本物の、本気の夢になった。

教師という夢へ一歩踏み出した瞬間だった。

 

 

 

『この先生のように、

 私も生徒の背中を押せる先生になりたい。』

 

もちろん今後また色々出てくるとは思うけど

私の根底にある、なりたい自分になる、は

間違いなくこれだ。